夕方ぐらいに、ちょっと紅茶でも飲んで落ち着こうか。
外は雨なんか降っていたりしたら尚更良いんじゃないか。
なんてそんな時にふと聞きたくなる、罪の宝石、という曲。
TK from 凛として時雨のアルバムとしては3枚目となるwhite noiseに収録されている一曲。
罪の宝石、なんて曲名はなんでこんな単語を生み出したのだろうか、と思わずにはいられないほど相反しているように感じてしまう。
一般的には罪、と聞けばマイナスなイメージを持ち、宝石といえばプラスのイメージを持つのではないか、と思う。
もしかして私の知らない所で罪、宝石という単語は違うのか?と思い詳細を調べてみた。
宝石とは
精選版 日本国語大辞典
宝として珍重される美しい石。
非金属の鉱物で、産出量が少なく、色彩・光沢が美しいために、装飾用などに珍重されるもの。
罪とは
精選版 日本国語大辞典
規範、法則を犯し、その結果とがめられるべき事実。また、そのような行為に対する責任の観念をいう。
人、あるいはものごとのとがめるべき点。欠点。短所。
〘形動〙 他人を悲しませたり、苦しめたり、まどわせたりなどするような要素をもっているさま。無慈悲なさま。
宝石、に関していえば大体イメージ通りのものだったが、罪に関してはちょっと予想外の意味合いが含まれている事に気づいたので、あえて記載してみた。
咎める点、欠点、短所。
これらも罪、という単語に含まれているのか、と驚きを隠せずにいた。
また、形容動詞としては他人に対してマイナスの行動をとってしまう事も含まれる、ということもある。
となると罪の宝石、という単語を自分なりに解釈してみる。
他人に対して悲しませてしまった、自責の念
ではないか、と思ってしまったのだ。
宝石部分は・・・?と思われるかもしれないが、自責の念は大概忘れたくても忘れられないもので、それが脳裏にキラキラとまるで宝石のように光っているのではないか、と考えてしまった。
他には、歌詞を見てみると消えてしまいたい、と思っているような感じがする。
“頭の中には 触りたくも無い”
というフレーズがある点。
“雨が降り出したら 僕を忘れてくれないか
コンクリートに弾けて 僕を忘れてくれないか”
がまるでどこかに消えてしまいたくなる程の自責の念があるのではないか、と考えてしまうのです。
また歌詞の最後には、少し雰囲気が変わって畳みかけるかのように
“罪の宝石 いつのことだろう
からっぽにしたいのは いつのことだろう
罪の宝石 いつのことだろう
からっぽにしたいのは 誰のことだろう”
とあるけれど、この「いつのこと」や「誰のこと」は本当は「僕」は知っていて。
「いつのこと」は他人に対して悲しませてしまった時のことを。
「誰のこと」は「僕」を忘れて欲しい他人に対してではないか、と考えてしまう。
このように不思議な単語を生み出してリスナーに思わず問いかけているかのような曲が、TKの特徴でもあり魅力でもあると私は感じる。
罪の宝石自体は何度かライブで発表はされていたらしいけれども、なかなか収録はされずにいたようで、それもまたTKの中で葛藤があったのではないか。
もしかしたら歌っているその時に何か後悔していることがあるのではないか、と勘繰ってしまう。
何か考え事をしたいとき、逆に考え事をしたくない時。
少ししっぽりしたいな、なんて時に是非聞いて頂きたい一曲である。